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例えば、アメリカでコ一ヒーショップに入る。ウェイトレスは メニューを持って、「おはようございます。ご機嫌いかが?Jと、 まずこうくる。こっちのほうは、それに答えて、「ありがとう、ま あまあだね、ところで〜。」と、とにかく、何かものを言わざるを得ない在掛けになっているのである。そしてそういう、行きず りの人間関係のウォ一ミングーアップの後に、コーヒ一が運ば れてくるわけで、したがって、彼女のほうは、「お待たせしました。さあどうぞ。Jということになり、こちらとしても、「ありが とう。」という言葉が自然に出てくるものなのだ。
(中略)
日本文化が沈黙によって支配されているのは、いったいなぜか。一一これは歴史的にも社会的にも、きわめて興味ある問題である。柳田国男先生がその著作の中で繰り返し指摘されたょぅに、日本の民衆生活の中で、おしゃべりというものがマイナ スの価値を持ち、ただ黙々と働くことが美徳とされてきたこと、そして更に、そんなわけで「もの言うすべ」を身につける機会を日本人の多くが持たなかったことも、その一因だろう。また、いちいちあれをこうしろとか、こっちをどうしろとか、言葉を使わ なレ、でも以心伝心式の方法でどうにか社会を維持してきたという実績が、沈黙への自信を深めている、と見ることもできる。それに、日本文化の中では、べらべらおしゃべりをするということは、処世術っ的に言って、おおむね損なことだ。出世しようと思ったら、ひたすら沈黙を守っているにこしたことはないのでめる。
私は、日本文化の改造などというだいそれたことに気焰をあげたくはない。しかし、満員電車から降りるときには、「すみません、おりますよ。」という一言を、また、何かのサービスを受けたときには、「ありがとう。」という一言を口にするという簡単な習慣が、一人でも多くの日本人の中に定着してほしいと思う。旗を立てて絶叫するのも結構だが、ふだんの小さな会話を大事にしたいと思う。それだけで、ずいぶん身辺は明るくなるに違いないのである。
加藤秀俊「沈黙の世界」より
译文:在挤满乘客的列车里,我观察了他们的行动后发现这样ー种状况。众多被挤得筋疲力尽的人,个个面无表情,沉默不语。他们双唇紧闭,流露出厌烦无聊的神情。固然,乘坐在满员的列车里本来就不是个愉快的经历,成千上万的上班者就像被装进了罐头里的沙丁鱼似的挤在一起,此时有人依然谈笑风生的话,反倒令人望而生畏。这种场合,面无表情、沉默不语才是人之常情。
然而,我认为无表情、不言语也有个度的问题。尤其是,碰到那些人从这满员列车上下来时,一声不吭地把人推开,朝车门方向挪动,总感到很不舒服。那就好比在人堆中央打开ー个通道,一只巨大的鼹鼠从中钻过去似的那种感觉。推人的一方与被推的一方都默不作声。这令我感到不可思议。
(略)