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「葦が青々と茂り、白い露が霜になります。河の向こう側に住んでいる美しい娘さんに会いたいので、河の流れに逆らって訪ねたいと思っても、水路は険しくかつ長いです。また、河の流れに従って訪ねたいと思っても、なかなか行き着かず河の中ほどでうろうろしている」。この詩は、美人を訪ねたい男の人の気持ちをよく表しています。そして、よく味わうと、水は愛情を表していることに気付きます。中国人の意識の中では、美しい話はいつも水辺とかかわりがあります。水はいつも愛のキューピッドとして登場します。
他に、中国の水の文化の中で、水に託す時間や青春の流れに対する無常観もよく感じられます。
「子川上に在りて曰く、逝く者は斯の如きか。昼夜を舎てず。」
――――『論語』子罕
こう見れば、過ぎ去るものはこの川の水のようなものでしょうか。時間は、流れ去る水のようにもう戻ってこないと嘆いています。水のおかげで、中国の文壇には絶えず新星が誕生してきました。今、私は文壇の巨匠の作品を味わいながら、水の中に隠れた知恵を探し、ゆっくり水の文化を堪能しています。
水は命の源だと言われています。そうすれば、水は文学の創作の源だと言えます。日本と中国の水の文化には、確かに差があります。しかし、両国の人々の感情と精神は元来同じ水域から育ってきました。したがって、両国の文化は同じ源から発したとも言えます。だから、両国の人々はお互いに相手を理解する態度でその文化を味わうとしたら、水も文化の架け橋として両者を結び付けられると思います。その時、中国と日本の間に果てしなく広がる大海原は消え、水は心の奥から流れる友好の言語にもなれます。最後に、自作の詩を書き添えます。
「水から日中文化の差を見、
よく両国の文化を理解し、
お互いに手のひらに真心をつかみ、
一瞬のうちに永遠をとらえる。」