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けれども、その時、一緒に仕事をしている店員さんは「大丈夫だよ。私たちがそばにいるから」と声をかけてくれました。また、店長さんは「ご両親はきっと心配しているだろう。連絡して」と言って、パソコンを貸してくれました。それに、「お腹空いた?おにぎり、食べてね」と店員さんは作りたてのおにぎりを私に渡してくれました。また、店員さんたちから「心配しないで。きっと大丈夫だよ」「泣かないで、お菓子食べてね」「頑張れ」という多くの感動的な心遣いに私の気持ちも少しずつ晴れて、不安も解けてきました。その心遣いにある国境を越える温かさに心が癒されました。「日本にいても、私は一人っぽちじゃない」と私は気づくようになりました。
地震発生から私はずっと店にいたまま、時間は深夜12時を過ぎました。店長さんは私の帰りたくてならない気持ちを見通したようで、ある店員さんに私を車で寮まで送らせると言ってくれました。通常であれば、電車で40分ぐらいの道のりを3時間もかけて、私を無事に寮まで送り届けてくれました。私は店員さんたちに感謝の気持ちでいっぱいでした。私は深くおじぎをしながら、「どうもありがとうございました」と言う以外ほかの言葉が出てきませんでした。
震災の後、あるCMで次の詩歌が流れていました。それは宮澤章二さんの書かれたものです。「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える。思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える」というものです。私もそれを確信しています。思いやりの心は一種のやさしい気持ちで、家族や友人などの親しい関係に存在するだけでなく、さらに国境を越えて人と人の間の深いつながりとなると思います。
目を覆うような災難は確かに恐ろしいものです。降りかかる災難は人々につらい思いをさせますが、そこから現れてきた愛の絆と心遣いは傷づいた心をなぐさめると感じました。
災難は人々に絶望をもたらしますが、思いやりの心は人々に希望を与えます。ですから、皆さん、思いやりの心で生きてゆきましょう。