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(1) 難しい「です・ます」調。
文の終わり方を「だ・である」調にするか「です・ます」調にするか迷うことがあります。「です・ます」調は、柔らかく丁寧な感じがしますが、一方ではまどろっこしさも伴います。情緒に流されやすい傾向もありますから、論理的な文章には似つかわしくないといえましょう。文章法としての歴史も浅いらしくて、まだ完成されていないともいいます。
そういえば、「だ・である」調ならどうってことないのに、「です・ます」調にすると、文の終わり方をどのようにするか悩んでしまうときが、ままあります。たとえば、「彼女は美しい」のような場合、「彼女は美しいです」とやってしまうのは、文法的には間違いとされます。「です」の前に来るのは、名詞とか代名詞のように活用しない体言とされるからです。
こうした場合、間に「の」を入れて、「彼女は美しいのです」とやれば正しくなります。しかし、「彼女は美しい」と、「彼女は美しいのです」では、ニュアンスがかなり異なってきます。したがって、「です・ます」調で文章を書くと、表現がかなり制約されるという難しさがあるといえます。
(2)「である」「のである」を連発しない。
大学教授や評論家の書いた本を読むと、文末が「である」「のである」のオンパレードになっている文章がとても多いのに気づきます。お手元にそういう本があれば、開いてみてください。面白いほど、「である」「のである」が連発されています。これらは、強い断定としてたまに使うのはよいのですが、あまりに多過ぎると高飛車な印象が強くなり、とても鼻につく感じがします。
これらの言葉を取り去っても、何ら意味は変わりませんから、控えめに使うほうがよいでしょう。下に掲げたのは、新聞で目にした、文筆を生業になさっていたある著名人の文章です。
×悪い例
「自分は国語力がなく、読解力が人並以下ではないかと愕然とすることがあるのである。慄然といってもいい。文章を読み始めてから数十行にして途方に暮れ、進めず、戻れず、迷い子になった気分になるのである。そして『俺は国語力がないのかもしれない』『論理的に解きほぐしていく能力に欠けているのかもしれない』と、自虐的に思ってしまうのである」
○よい例
「自分は国語力がなく、読解力が人並以下ではないかと愕然とすることがある。慄然といってもいい。文章を読み始めてから数十行にして途方に暮れ、進めず、戻れず、迷い子になった気分になる。そして『俺は国語力がないのかもしれない』『論理的に解きほぐしていく能力に欠けているのかもしれない』と、自虐的に思ってしまうのだ」
(3) 「思う」「思います」を連発しない。
この言葉をあまり連発すると、自信がなそさそうで弱々しく感じるばかりか、かえって無責任さや慇懃無礼さも浮き出てきます。特に、小論文や感想文などは、自分の考えや意見を書くことが前提となっているのですから、そこで「思う」「思います」を使うのは、いわば二重表現となって、とてもくどくなります。
これとは別にもう一つ気をつけたいのが、小論文の最後を、「~ではなかろうか」というように「か」で終わってはならないということです。最後を曖昧な言葉で結んでしまうと、それまで縷々述べてきたきたことが台無しになってしまうおそれがあるからです。最後はピシッと決めましょう。