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日语作文范文 —— 紫金草の思い出

发布时间: 2024-04-26 17:24:40   作者:etogether.net   来源: 日语学习网   浏览次数:

教科書に書いていることだけを教えてくださったのではなく、先生は自らの経験を私たちと分かちあっていました。それらの中で私に一番強い印象を与えたのは紫金草のことでした。紫金草という花は、わが国の南京地方では「二月蘭」と呼ばれています。抗日戦争当時、日本人の薬学者で、陸軍衛生材料廠の廠長だった山口誠太郎さんが、昭和14年に南京でこの花に出合いました。彼は平和を呼びかける思いで「紫金草」と名づけ、種子を蒔き広めて行きました。後日、このことを題材に『平和の花 紫金草』という合唱曲が制作され、1998年東京の足立区で初演されたということです。そして、2001年3月には南京市でも日本から200人の合唱団が訪中し公演をしました。その後、ほとんど毎年中国に来たそうです。メンバーは全員退職者の方で、平均年齢は60歳を越えます。先生の奥様も合唱団の一員だそうで、2011年3月、南京で公演をされました。

誰も知っている通り、折しも日本は東日本大震災に襲われ、未曾有の被害を被りました。白む空に立ち上る幾筋もの煙、横倒しの高速道路。ビルが倒れたり、人が生き埋めになったりして、にぎやかな町はあっという間に廃墟になってしまいました。テレビに見入った時のその惨状を今でも忘れません。それにもかかわらず、紫金草合唱団は活動を取り消さずに、予定通り訪中されました。新聞社の取材を受けた時、創立人の大門高子さんは「地震と津波が起きたせいで、家族を失ってしまったメンバーが何人もいます。延期するかどうか迷っていました。地震•津波は天災ですけれど、戦争は人災です。戦争はすべての生命を奪う恐れがあります。予定より人数は少ないですが、困難を乗り越えて南京にやって来ました。私たちは平和を祈求する人の集まりで、世界の平和を守ろうと望んでいますから」と語りました。

先生から伺った「紫金草の物語」です。先生と一緒に勉強してきましたが、いよいよお別れしなければならない時が来ました。先生はいつものように、ずっとにこにこしていました。しかし、その笑顔の中に少し悲しさが感じられました。その時、鬱々とした様子の私たちを見て、「最後じゃないから。また会えるからね」と、先生が慰めてくださいました。その言葉を聞き、私は少し落ち着きました。確かに、先生の言うとおり、たとえ離れていても、相手を思う気持ちがあれば、互いの絆が消え去ることはありません。

最後になりますが、私は中国で日本語教師として働き、長年中日交流に大きな貢献を果たされた先生に感謝の意を表したいです。いままで長い間ありがとうございました。

「花と生きる 広い空見上げて 風よ教えて 心の絆を 大地の友と共に生きる 誓いを胸に 花を咲かそう」

平和の花は、海を越え、そこにいる人々の心に咲き満ちる。それは私の祈りです。


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